タレント、アーティスト、ラジオパーソナリティ、コメンテーターなどマルチに活躍している「しょこたん」こと中川翔子さん
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中川翔子さんは幼い頃からとても可愛らしく、10代のころから芸能界入りをしていました。
今でも可愛らしさ、美しさを兼ね備えている中川翔子さんですが、幼いころから現在までどのように変化しているでしょうか?
・中川翔子さんの幼い頃や若い頃を調査!
・中川翔子さんの現在は?
について紐解いていきたいと思います!
中川翔子の若い頃や子供のころは?
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中川翔子さんは「中川薔子(なかがわ しようこ)」として子役のころから芸能界で活動していました。
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なんと、5歳のときに女優の安達祐実さんとハウス食品「咖喱工房」のCMオーディションの最終審査で一騎打ちを行った経験があったのだとか!
中川は5歳ごろから子役として芸能活動していたことを明かすと、安達がブレイクするきっかけとなった“具が大きい”のフレーズでおなじみのハウス食品「咖喱工房」のテレビCMオーディションに参加していたことを告白。中川は「最終オーディションで一騎打ちみたいになったんですよ」と話すと「“具が大きいって言って”って大人に言われて、“やーだ!”って言ったの覚えてるんですよ」と照れながら語った。
引用元 : クランクイン「中川翔子、子役だった過去を明かす 安達祐実と「具が大きい」CMオーデションで一騎打ち」
このころから今と変わらない可愛らしさを兼ね備えていたことが分かりますね。
5歳!
— 🍉中川翔子🍉🐈⬛ (@shoko55mmts) April 26, 2017
セントラル子供タレントの子役だった時の写真でてきた pic.twitter.com/0eiwv0ciMY
中川翔子さんは5歳のころは「セントラル子供タレント」に所属していたといいます。
中川翔子の学生時代は?
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中川翔子さんは中学生時代のときにいじめを受けるなどの苦しい経験をしていました。
小学校時代では「ナカショウ」の愛称で呼ばれ、友人も多く、特技のイラストを描くことで友人を喜ばせていたといいます。
ですが、中学校時代では女子中学校に進学、いわゆる目立つグループにターゲットにされてしまった中川翔子さんは「キモイ」、「絵なんて描くな」、「オタク」と好きなことを否定され、冷遇され続けていきました。
「あいつ絵ばっかり描いててオタクじゃね? キモいんだけど」とボスグループの子たちから陰口を言われるようになるのに、そう時間はかかりませんでした。
「オタク」。いまでこそ、この言葉は一般的になりましたが、当時、「オタク」であることはすなわち「キモい」ことだったのです。
クラスではボスグループが「絶対」で、ボスが「キモい」と言ったことで、わたしは完全に「キモい子」というレッテルを貼られました。それまで普通に話していた子たちも、だんだんわたしから距離を置くようになっていきました。
引用元 : 本の話
引用元 : withnews
中川翔子さんが学生の頃は「オタク」はネガティブなイメージが根付いており、アニメの話をしていたり、絵を描いているだけでもいじめの標的にされることは少なくありませんでした。
このときの中川翔子さんは毎日「死んでしまいたい」と考える程、追い詰められていたと多くのインタビューで語っていました。
そんな中川翔子さんを救ってくれたのは家族である母・桂子さんと
インターネットやブログ
でした。
中川翔子の原動力は?
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2001年に「ポポロガールオーディション」のグランプリ、2002年「ミス週刊少年マガジン」に選ばれるなどの活躍を見せましたが一番の反響となったのがやはり『しょこたん☆ブログ』でした。
引用元 : しょこたん☆ブログ by Ameba
こちらでは中川翔子さんが好きなイラスト、アニメ、漫画、コスプレ、猫などを毎日複数回投稿することにより、ファンをはじめ、多くの方々の話題となり
2008年に『新・ブログの女王』
として初代・ブログの女王の真鍋かをりさんのブログを大きく上回り、累計15億アクセスを突破していました!
この『しょこたん☆ブログ』の開設をきっかけに
・2005年「王様のブランチ」レギュラー出演
・2006年「Brilliant Dream」でアーティストデビュー
・2007年「空色デイズ」をリリースし、自身初のソロライブ、紅白歌合戦への出場
・2008年 初の全国ツアー
・2009年 自身初のファッションブランド「mmts」立ち上げ
・2010年「恋の正しい方法は本にも設計図にも載っていない」で映画初主演
・2011年「塔の上のラプンツェル」で主人公・ラプンツェルの吹き替え担当
など、次々とご自身の叶えたい夢を叶え続けていきました。
引用元 : Instagram
中川翔子さんは今でも中学時代のいじめられた経験を思い出してしまうそうですが、そのたびに
「あの時死ななくて、本当によかった」
と思っているといいます。
好きなものが中川翔子さんの原動力となり、今のお仕事に繋がっていることが分かりますね。
ずっと部屋に閉じこもって、死んじゃいたいって思っていました。密かに憧れていたのが、アニメソングを唄う人になることです。遠い未来にその夢がかなった瞬間があり、死ななくてよかったって心から思ったんです。
引用元:文春オンライン「中川翔子が語るいじめ体験「毎日戦う、生き伸びる、やり過ごすのに一杯一杯だった」
中川翔子の現在は?
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苦しい学生時代、ひたむきに走ってきたデビュー時代を経て、今の中川翔子さんは多方面で活躍しているマルチタレントとなりました。
・2023年に一般男性(竹野内豊似のイケメンパイロット)と結婚
・保護猫活動やいじめの啓発活動に力を入れている
・ディズニーの公式からオファーがあり、ラプンツェルのグッズを販売
・ディズニーシー・ファンタジースプリングスのラプンツェルの声を全て担当
・大好きなポケモンの原画に携わったり、念願のガンダムの主題歌を担当することになった
など、中川翔子さんが夢見ていた出来事が次々と叶えられている状況となっています。
これもひとえに中川翔子さんが今まで積み上げてきた努力の成果、というべきでしょう。
現在も精力的にリリースイベントやライブに参加している姿を見ると、まだまだ夢に向かって走っている最中であることが分かります。
今後のしょこたんの活躍も楽しみですね!
まとめ
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こちらでは
・中川翔子さんは5歳から子役として芸能活動をしていた
・中川翔子さんは学生時代にいじめに遭っていたが、『しょこたん☆ブログ』がきっかけで好きなことで夢を掴み続けていくことができた
・中川翔子さんは様々なジャンルで活躍している一方で過去のいじめの経験を糧にいじめの啓発に積極的に関わっている
ことが判明しました。
しょこたんのように、夢を叶えるためにひたむきに努力することはとても大変ですが、素敵なことですよね。
今後も暖かく見守っていきましょう。